損切りの難しさ

 日本は相場の歴史の長い国です。よく知られているように、江戸時代には大阪の堂島にコメの先物相場ができ、活発な商いが行われました。これは、先物市場として世界最初のものといわれています。
 歴史が長いだけに、これまで相場に関する数々の格言が生まれてきました。「人の行く裏に道あり花の山」(人と同じような相場ははるな)、「下手なナンピン、スッカンピン」(下手に下がり相場でさらに買い増しすると、大損することがある)、「頭としっぽはネコにやれ」(最安値で買い、最高値で売り抜けようなどの欲をかくな)などを耳にされた方もいると思います。
 格言の中には見切り売りの大切さを述べたものも多く、「利食いは急ぐな、損急げ」、「戻り待ちに戻りなし」などと言われています。
 商売の世界でも、三井家の宗竺遺書(三井高平)に、「商売には見切りが必要であって、一時の損失はあっても他日の大損失を招くよりは、ましである」という内容が含まれているそうです。人間は欲深いので、損が出ると、どうしても損を取り戻そうという心理が働き、それが大きな損失につながるものだということなのでしょう。
 ところで、「損切り」の大切さは相場や商売の世界の話だけではないと感じています。例えば、滿洲事変について見てみましょう。日露戦争で日本は満蒙に様々な権利を獲得しましたが、滿洲事変当時に至っても、主要国から「権益」と承認されるに足る民間経営の実態は余りありませんでした。日本の投資の主体は、満鉄など損得無視の国策会社が中心で、言い換えれば、満蒙は日本にとってまだそれほど儲かる地域ではなかったのです。しかし、「先人が苦労して日本のものとした満蒙の権益が中国によって侵害されている、これを放置するわけにはいかない」という意識は、軍部のみならず一般の国民にも広く共有されていたといわれます。満蒙からの撤退などとても考えることのできない選択肢だったのでしょう。戦争のように複雑な政治事象を単純な話で説明するのは無謀かもしれませんが、これも、損切りの難しさを示す例のように思えてなりません。
 今日、日本の企業は国内市場が成熟したため、海外に活路を求めることが多くなっています。日本とは文化や歴史が異なる地域に進出するのですから、関係者は多大なご苦労をされているはずです。これまでに築き上げた資産やネットワークも相応に大きくなっているでしょう。しかし、それでも経営環境の変化などにより、損切りすべき時がくるかもしれません。その時に潔く撤退することができるかどうか、この点が重要だと思います。
 ただし、わが身を振り返ると、ささやかな株式投資ポートフォリオに何年も含み損を抱えたままですから、とても人に説教できる立場にないのがつらいところです,嗚呼。