子供の頃の読書

 小学校2年生の時、『少年少女世界名作全集』全50巻というのを買ってもらうことになった。毎月1冊ずつちょっと厚い本がたまっていくのは誠にうれしいことだった。というと、私がこれらの本を心待ちにして熟読していたと思われるかもしれないが、1冊として読み通したものはなかった。覚えているのは、「シャーロック・ホームズの冒険」、「海底2万里」、ロビンソン・クルーソー」くらいで、おそらく投資効率は5%未満だったのではないだろうか。この全集、今もって親のところにあるので、もう少し読み進めておかないと申し訳ないような気がする。
 しかし、当時の私が読書に全く無関心だったわけではない。『少年マガジン』、『少年サンデー』などの雑誌を時々買ってもらい、買ってもらえないときは友達のところで読みふけっていた。有名な「おそ松君」や「お化けのQ太郎」はもちろん大好きだったし、「サブマリン707」や「青の6号」といった潜水艦ものにも熱中した。
 中学に入ってある先生が、「立派な人間になるには沢山文学書を読まなければならない。」ということを言われて感銘を受け、文学書を読もうと思った。小学校時代のことを振り返ればあまり文学に縁のある人間ではないことがわかるはずなのに、当時は未婚だったこともあり、反省力が不足していたのだ。有名そうな本を選び、『暗夜行路』、『静かなドン』、『罪と罰』などを苦労して読み進めたが、ほとんど理解できなかった。一方、『楽しい鉄道模型』、『陸蒸気からひかりまで』といった鉄道関係の本は苦労しないで熟読できた。
 高校に入っても中学と同じ傾向が続いた。周囲の大人びた学友が高橋和巳などを論じているのを耳にすると、自分も難しい本を読まないと幼稚な人間に思われるのではと心配した。そこで旧制高校生が読んだといわれるデカルトの著作などを購入してみたが、これまたさっぱりわからなかった。ただ、夏目漱石の小説はすんなりと読むことができ、『猫』は今でも愛読書である。
 こうしてみると、読書はやはり好きなものを読むに限る。学生諸君には、私の経験を他山の石として読書に励み、立派な人間になってほしいと思う。