悟り世代・脱グローバリゼーション・リスクとリターン

 最近のティーン・エージャーは「悟り世代」と言われることがあるようです。悟りを開くというのは、大変いいことですが、ちょっと早すぎるような感じもします。

 

 「悟り世代」の特徴としてどのようなことがあげられているのか調べると、「仲間とのコミュニケーションを大事にする」、「飾らない」などがあり、それは結構なことですが、「失敗をおそれてリスクをとらない」、「みなと同じことを指向する」となると、必ずしもこの世代特有のことではないと思います。リスクを取らない傾向は、日本人の一般的特徴として知られていることですし、「みなと同じことを指向」に至っては19世紀以来の大衆社会の特徴として、多くの人が指摘してきたことです。

 

 ティーン・エージャーが悟りを開いているかどうかは別として、次代を担う若者がこれから立ち向かっていかなければいけない世界は、日本にとって厳しく、悟っている余裕はないかもしれません。

 

 冷戦終結以来、グローバリゼーションの時代が続き、その間、GAFAを中心とする情報産業およびそれらを抱える米国経済が力強く発展し、また、中国など新興国の大幅な経済発展がみられました。ところが、その間、日本は低成長とデフレに苦しみ、起業の比率は低く、デジタル化が遅れ、人口が減少するなど、多くの問題を抱えるに至りました。

 

 しかも時代は進み、米国や中国のような大国がナショナリズムを前面に押し出す、脱グローバリゼーションの時代がやってきてしまいました。コロナ禍も、危機に臨んで国際機関はあまり有効ではなく、結局は国民国家単位のまとまりが重要であることを人々に再認識させるきっかけになっています。

 

 脱グローバリゼーションといっても、製造業を基幹産業とし、国際的なサプライチェーンを築いた日本は、そう簡単に対応できません。エネルギーの海外依存も継続しています。人口減の国内市場を補填するには、海外市場も無視できず、さらなる開拓が必要となっています。

 

 時代が求めているのは、当然のことながら、これらの問題に果敢に挑戦する人材でしょう。金融の教科書を開くまでもなく、リスクをとってこそリターンがあります。リスクを適切に判断し取るべきリスクをとっていく人材、グローバルな挑戦のできる人材を養成することが求められていると感じる今日この頃です。

夢の経営学部

 

 組織は、すべからく、社会の要請・要望に応えるべく、変化していかなければなりません。当たり前のことです。さもないと、厳しい競争が繰り広げられているなか、組織が生き残り、発展することは難しい。

しかも、経営学部に対する社会の要望・要請は多様です。

 ちょっと考えただけでも、例えば、①国連からは、SDGsに対応して欲しい、②政府からは、役立つ研究成果をあげて欲しい、また、教員はボーッとしている時間を減らし研究にいそしんで欲しい、③経済界からは、すぐに企業で活躍できるグローバル人材を輩出してほしい、また、DXに対応できる教育をしてほしい④学生からは、できるだけ楽しく勉強して大卒資格がとれるようにして欲しい、などが思いつきます。

 これらに対応するには、例えば、①SDGs対応委員会を組織し、その組織規定を制定する、②成果主義の人事管理を導入する、③グローバル人材育成委員会とDX対応委員会を組織し、その組織規定を制定する、④学生に知的負荷をかけない授業をし、グループワークなどの作業で達成感を与える、などが考えられます。また、達成計画を作成して、そのPDCAサイクルを回していくことも重要です。

 しかし、こうした対応策に優先順位をつけるのは難しいし、実は、問題意識そのものが間違っている可能性もあります。というのも、社会の要請・要望そのものが、移ろいやすく、それらに引きずられていると、ただただ忙しく、自分自身の姿を見失う恐れが多いからです。

 古代ギリシャ語の暇=スコレーがその後、英語で学問を意味する言葉に変化していったことからもわかるとおり、学問するには、暇が重要です。ボーッとしながら、あれこれ思いついたことを教えたい人間が教師になり、学生もそれを教わりたい。そうした気持ちの交錯のなかから、活発な議論と新しい考え方がうまれてくる、これが理想のような気がしてなりません。

 夢の経営学部を作るには、まず、みんなが暇でゆったりとした気分になることが大事です。変化の激しい時代だからこそ、現実から少し距離を置いて、その本質をとらえる、そんな営みのできる学部を目指したいと考えますが、どうでしょう。

未経験の問題

 未経験は問題です。自分を振り返ると、未経験のまま就職し、未経験のまま結婚し、未経験のまま転職し、そのために、様々な失敗を繰り返してきました。同様の例が多いためか、世間では、準備の必要性が叫ばれています。
 大学においては、就業経験のない学生の就業準備のため、かつてはなかった、「キャリア科目」が設定されるようになりました。企業でも、疑似就業経験の場として「インターンシップ」を学生に提供するところが増えています。ところが、このような取り組みは必ずしも学生に評価されていません。
 学生に聞くと、「まだどんな業界で働きたいかも決まっていないのに、キャリア教育で業界研究や企業研究をしてもピンとこない」、「インターンシップに行く準備ができていない」などの事情があるようです。そうであれば、「キャリア科目を受講するための準備講座」、「インターンシップをめざすための準備講座」を設定する必要があるかもしれません。問題は、そのような科目を設定すると、さらに「当該科目を受講する準備ができていない」という声がおこりそうなことです。
 ひょっとすると、準備をすれば未経験の問題が解決するだろうという思考方法そのものに問題があるのかもしれません。

アルミサッシの不思議

                                               

  先日、ある建材器具会社の社長の講演を聞く機会があり、①日本の住宅の断熱性能が国際的に見て非常に劣っていること、②家全体が集中冷暖房でないため、家の中での寒暖差による死亡事故が多いこと、を教えられました。
 これまでも新聞雑誌記事により、日本に来た外国人の多くが、冬場の日本の住宅は寒いと言っていることや、アルミサッシというのは日本特有のもので、アルミは熱伝導率が高いため熱が逃げやすい、といった程度の知識は持っていました。しかし、住宅の断熱性能がイギリスやドイツの半分程度で、国による規制もない、というのは愕然とする情報でした。しかも、いわゆる大手住宅メーカーの製品も例外ではなく、むしろ、知識のある一般工務店で家を建てた方が、コスト的にも安く断熱性の高い住宅を手に入れることができる、というのですから、ますます驚きます。
 断熱性能が高ければ、冷暖房設備も少なくてすみますし、家全体を冷暖房することも可能になります。今後の日本の住宅は、断熱性能の向上と集中冷暖房の方向で改善していかねばならないでしょう。ちなみに、アメリカの住宅は、1970年代頃までに集中冷暖房が一般化しました。
 家の熱が逃げていくルートの7割方は窓とのことですから、断熱性能の向上には、窓の改良が欠かせません。窓を構成するのは、ガラスと窓枠ですが、ガラスについては、すでにかなり性能の良い物が開発されているようです。問題は窓枠です。アルミに代わる熱伝導率が低く加工しやすい素材の開発が必要なのです。
ところで、日本では、いったい何故、熱伝導率の高いアルミを窓枠に使うようになったのでしょうか。
 この問について、筆者の素人仮説は、「鉄道車両に起源があるのではないか」です。というのも、住宅にアルミサッシが利用されるようになったのは、昭和40年代頃だと思うのですが、それ以前の昭和30年代初めころから、鉄道車両ではアルミサッシの利用が始まっていたからです。
 当時の日本の鉄道は不燃化と輸送力増強が喫緊の課題でした。不燃化のためには、半鋼製車両(外板や枠組みは鋼製でも、屋根、窓枠、床板等が木製だった)を全金属にする必要があります。また、輸送力増強には、車両を軽量化して、機関車の牽引両数をあげなければなりません。
このような要請を考えると、金属の中でも軽量なアルミを車両の窓枠に利用するのは理にかなっています。車体に高価なアルミを使うのは無理でも、窓枠程度にはいいだろうということだったのではないでしょうか。
鉄道車両用のアルミサッシを開発したメーカーが、それをヒントに住宅用のアルミサッシを開発して販売したのではないか、と考えた次第。果たして、真相はどうなのでしょうか。ご存じの方がいらしたら教えて欲しいと思います。(2019年12月8日) 

自己肯定感と学び

 自己肯定感は大事です。自宅に帰ると、何かと自己肯定感を打ち砕かれるので、そう思います。また、学生に勉強を促すためには、自己肯定感を与えた方がいいという見方があり、自分も賛同して、「学生の資格取得を奨励し、自己肯定感を高めよう」と唱えてきました。
 しかし、最近、本当にそうだろうかという疑問が芽生えました。そもそも、何かを学びたいという思いは、自分の無知、馬鹿さ加減を思い知り、これではいかん、と考えることから始まるのではないか。自分は幸せだなあ、能力あるなあ、などの気分に浸っているとき、何かを勉強し始めるとは思えません。
 とすれば、学びは、自己否定から始まるわけです。学びが始動しないとすれば、それは、自己肯定も自己否定もない、要するにボーッと生きていることに起因するのではないか。(チコちゃん、叱ってください)
 こんなことをボーッ考えていたら、学生から、「先生、最近、授業でキレることあるそうですね。」と言われました。「いや、あれは演技で、実は、冷静に叱っているのだ。」とごまかしたものの、自己肯定感が打ち砕かれました。自分は、授業方法を学ぶ必要があるようです。

外資系証券会社の思い出

 一九九八年に当時勤務していた日本長期信用銀行が経営破綻し、金融再生法の下に国有化された。国有化後の将来が見通せないので転職したいと思ったものの、すでに四〇歳をだいぶ過ぎており、特段人脈もなかったので、再就職活動は捗々しくいかなかった。
 ようやくたどりついたのは、欧州系銀行の審査部門の総務担当というもの。前任者は二六歳の女性だった。総務担当というのは、部内の予算管理その他の雑用係である。友人で卒業以来外資系の銀行で働いていた男に相談すると、「勧められない、やめとけ」とのこと。しかし、他に職もないので思い切って飛び込んでみた。
 入ってみると、一年の間に金融検査対策で忙殺されるわ、総務担当から審査担当への仕事替えを求められるわ、採用してくれた米国人上司が転職してしまうわ、と結構大変な事が続いた。この上司がいなくなってからは、何となく居心地も悪くなった。
 二年たったところで、その元上司から電話がかかり、自分の転職先である外資系証券会社に移らないかというお誘い。残るも地獄、進むも地獄の予感がした。
 どうにでもなれと、誘いに乗って再転職してみると、心配通り、その米国人上司と古くからいる日本人職員が反目して大混乱の真っただ中だった。これらの日本人職員の多くが整理されてようやく一段落した。ともかくも、こうした経緯で、自分の外資系証券会社における審査の仕事が始まった。
 証券会社の審査の仕事は邦銀のそれとは大分異なる。まず、取引の大半は外国為替スワップ、レポ、株券貸借取引、証券先物取引などのいわゆるデリバティブである。
 貸出と異なり、デリバティブ取引から発生する与信リスクは捉えにくい。貸出であれば、取引先が破綻した場合、単純には貸出金額がリスクにさらされる。一方、デリバティブ取引の場合、破綻した取引先との取引を解消し、別に取引を再構築した際に発生する損失額がリスク量である。その金額は、モデルを使って各デリバティブの価格の推移を想定し、価格の変動率や再構築にかかる期間なども勘案して統計的に算出せざるを得ない。リスク量はしたがって、例えば5%の確率で○○ドルの損失、といったたぐいのものとなり、確定的ではない。これをポテンシャル・イクスポージャーと呼ぶ。いわゆるテールリスクである。
 転職する前、二十年近く邦銀で仕事をしてきたが、調査や貸出営業の仕事が中心で、デリバティブ取引とはほとんど縁がなかった。そのため、まずは、こうしたデリバティブのリスク量の算出原理や方法を学ぶ必要があった。慣れてくると、なかなか面白いもので、単純な取引であれば、モデルを動かさなくても、価格変動率や取引期間を使った目の子計算でおおよそのリスク量がわかるようになる。
 日常、営業部門からは様々なデリバティブ取引について取引承認を求める電話がかかってくるので、リスク量に対する感覚は重要である。取引先ごとに設定されたテールリスクにかかわる与信枠の範囲に入れば取引を承認するし、そうでなければ断らなければならない。
 リスク量の算出で手間のかかるのは、投資家向けの長期為替の取引だった。複雑な商品内容であるが、分解すれば為替オプションの組み合わせである。数学科を卒業した若い同僚が簡易計算のための特別プログラムを作ってくれ、それを使って与信判断をしたが、一連の作業は職人芸のような趣があった。
 審査の仕事のもう一つの柱は、取引先に内部格付けを付与することである。このあたりは、邦銀の審査部と似たような機能である。違うのは、取引先として金融機関やファンドなどのウエイトが大きいことであろう。内部格付けにしたがって、与信枠が決められる。
 内部格付けにあたっては、取引先の財務内容等を分析した書類を作成する。苦労したのは、海外(ロンドンと香港)のオフィスと電話会議で行う格付け委員会である。委員会における合議で内部格付けが決められるのだが、海外支店の委員は、日本の取引先について、思いもよらない質問や意見を投げかけてくる。
 ペイオフ解禁前のこと、日本の金融機関に対する公的支援の枠組みなどを説明しつつ、地銀への内部格付けを提案したが、議論が全くかみ合わない。こちらは、地銀ごとの特徴等を反映して格付けに差をつけて提案する。一方、ロンドンの人間から見ると、地銀ごとの差異は取るに足らないもので、どうせ公的支援があるなら一律の格付けを与えるべきだと強力に主張する。お互い同じ主張の繰り返しで、最後は議長に引き取ってもらったように記憶しているが、難儀なことであった。
 ところで、委員会ではこちらも、なじみがなく、よくわからない欧州やアジアの取引先の資料を読み込んで質問しなければいけない。リーマン・ショックより前のことだが、南欧の銀行が委員会にかけられた。日本の経験を踏まえると、バブル融資が積みあがっているように思われたので、その点を問いただしてみた。しかし、バブルという見方について、ロンドンの同僚の賛同を得ることは全くできなかった。日本でもそうだったが、バブルのさなかにいると、それがバブルだと認識するのは難しいものである。
 リスク量の算出や内部格付けについて、外資系証券会社の特徴と思われたのは、仕事のスピード感である。たとえば、営業部門等から質問があれば、比較的短時間で取引の可否等の回答をしなければならない。ところが、同じ外資系でも、例えば、格付け見通しについて回答するのに一~二週間かけるところもあるらしい。このため、のんびりした会社から転職してくる人にとって、このスピードに慣れるのは一苦労だ。
 結局、あまり発展性もないまま、このような内容の仕事を十年以上続けた。採用してくれた米国人上司は、またもや数年でいなくなってしまった。仕事を通じて人間的にはだんだん角が増え、その角がとぎすまされたような感じがする。
 十年の間で最大の出来事は、無論、リーマン・ショックだ。サラリーマン人生で勤務先が公的支援を受けるような事態に二回巡り合ってしまったわけである。
 リーマン・ショックとは、証券化商品を利用した不動産金融の拡大によって不動産市場が過熱し、バブルが破裂したものである。と長らく考えていたが、根はもっと深いようだ。チャールズ・ファーガソンの『強欲の帝国』によれば、米国大手金融機関の一部の関係者は2000年代初めごろからバブルの崩壊を見通していた。そのため、彼らは単に証券化を急いだだけでなく、バブル崩壊に賭ける取引、例えば、証券化商品のジュニア部分のプロテクションを購入するような行動をとった。彼らがわからなかったのは、バブル崩壊のタイミングだった。なかなかバブルが崩壊せず、掛け金が不足すると、自ら証券化商品のシニア部分のプロテクションを売却して掛け金を捻出するようになった。実際にバブルが崩壊すると、安全なはずのシニア部分まで価値がなくなってしまい、損失が拡大した。バブル崩壊への賭けが、バブル崩壊の程度と影響範囲を激しく拡大したのである。
 グレーター・フール理論というものがある。ぼろい商品であっても、それを購入する人が現れれば、利益を得ることができる。購入した人は、さらにそれを別のひとに購入させることで利益を得ることができる。こうして次々に、より愚かな人にぼろい商品をつかませることで、皆が利益を得られる、というひどい理論である。リーマン・ショックの背景には、まさにグレーター・フール理論に則った、倫理的にいかがかと思われる経済活動が存在した、とも指摘されている。金融取引においては、いわゆる情報の非対称性が、店頭取引をはじめとして多くの場面で見られるということだろう。
 このように考えると、自分が十年以上外資系証券会社で審査の仕事をしてきたことの意義について疑問を持ってしまう。幸か不幸か(多分不幸)出世しなかったので、責任を取るような立場ではなくお気楽であるが、自分の所属した組織が社会的に糾弾されるのはつらいものである。しかも二回目である。
 リーマン・ショックは金融資本主義にとどめを刺したという見方がある。例えば、リーマン・ショック以前、英米が金融業で栄えていた頃、日本も製造業中心の産業構造から転換して金融業等付加価値の高い産業に注力すべきだという議論があった。最近はこうした議論もすっかり影をひそめたようだ。
 しかし、金融資本主義にはなかなかしぶといものがある。昨今強調されるグローバリゼーションも、世界的な市場の一体化、標準化、流動性の拡大などを目指す点で、金融資本主義と同質のものと見ることもできる。グローバリゼーションを推進しつつ、金融部門だけ規制強化して金融資本主義を抑え込むことに矛盾はないのだろうか。
 現在は証券界を離れ、縁あって、教育の世界で暮らしている。かつて身に着けた職人芸をいかすことはできず、自転車操業で、勉強したものをすぐに吐き出す毎日を送っている。職業人生の振出に戻ったようなものだ。余裕ができたら、サラリーマン時代の問題意識を整理し、研究活動に生かせればと思っている。

図書館の不思議

 図書館は太古の昔からあります。紀元前2600年には、粘土板に書かれた文書を保存する施設があったとのことですし、有名なエジプト、アレクサンドリアの図書館は、紀元前3世紀にできたそうです。
 このように、人類の歴史とともに古い図書館ですが、いくつか不思議なことがあるように感じています。
 第一の不思議は、「この世知辛い世の中で、図書館はタダなのに、なぜ利用者が低迷するのか?」です。普通、タダだと人がわんさと押し寄せるもので、図書館にある本という本がすべて貸し出されてもおかしくないはずです。しかし、実際にはそうなっていない。多くの図書館がいかにして利用者の増加を図るかに頭を痛めているようです。
本を借りても、お金と違って利息を払う必要がないし、返却期日を過ぎると怖い取立人が来るわけでもありません。それなのに、なぜ本を借りないのか。人々は、ひょっとして、借金をしてはいけないという先祖の教えを拡大解釈して、お金ばかりか本も借りてはいけないと思い込んでいるのでしょうか。
 第二の不思議は、「「本の虫」は、なぜ図書館に来ないで自宅に本をためこむのか?」です。「本の虫」とは別名「活字中毒患者」ともいわれる人々で、活字があると、読まずにはいられない性分の人々です。図書館には本がいっぱいあるわけですから、図書館と最も相性のいいのは「本の虫」のはずで、図書館は「本の虫」であふれかえるはずです。しかし、実際にはそうなっていない。
 現在の日銀総裁黒田東彦氏は高校生の頃、学校の図書館の本をすべて読んだという逸話の持ち主だそうですから、明らかに「本の虫」で、しかも図書館との相性が良かったと推察されます。高校の図書館といえば、毎月、雑誌「鉄道ファン」の写真を眺めるくらいしか利用しなかった筆者とは大違いです。
 しかし、若い頃の黒田氏は例外で、「本の虫」の多くは、図書館に来るより、どちらかというと自宅に本をあふれさせるのが好きなように思われます。夏目漱石の写真には、積み重なった本に取り囲まれているものがありますし、最近亡くなられた英文学者の渡部昇一氏のご自宅にも万巻の書籍があるそうです。フランス文学者の鹿島茂氏も本の蒐集家で、とうとう本棚の設計まで手掛けられたとのことです。筆者の尊敬するツチヤ師(週刊文春に時々登場される聖人で哲学者の土屋賢二氏とは別人とされる)も、奥様に自宅の書棚の組立を命じられて苦悩されているようです。
 第三の不思議は、「なぜ図書館は若者にあまり人気がないのか?」です。若者といえば、恋愛。現代の脳科学によると、恋愛状況にある女性の脳は、相手の男が信用できる人間かどうかに敏感になっていて、それは将来、長い時間をかけて子供を育てることを考えると、生物学的に理にかなっているそうです。
 信頼できるかどうかという観点からは、図書館で本を読む男の方が、繁華街で遊んでいる男よりよっぽどいいはず。そうであれば、図書館は、信頼できる男を求める若くて美しい女性と、それにこたえようという軽薄な男であふれかえっていてもおかしくありません。
 しかし、実際にはそうなっていない。聞くところによると、現在の公立図書館の多くは、恋愛とは無縁の中高年男に占領されています。彼らは、朝、図書館に行列をつくり、開くや否や突進。これは、日銀総裁を目指して勉強しようというわけではなく、図書館にある新聞のチラシ広告を手に入れ、どのスーパーが安いかチェックするための行動とのこと。今後は、少子高齢化対策として、図書館を中高年男から取り戻し、若者の場所に転換する必要があります。
 第四の不思議は、「なぜ図書館で本を執筆する人がいないのか?」です。多くの本や資料のある図書館は、本の執筆場所として最適なはずですが、実際にはそうなっていない。このように書くと、「マルクス大英博物館の図書室で『資本論』を執筆した」という指摘が出てくるでしょうが、マルクスはかなり例外なのではないでしょうか。筆者は、マルクス以外、図書館で本を書いたという人の話を聞いたことがないのです。(マルクスはよほど家にいづらい事情があったのでしょう。)
 第五の不思議は、「なぜ図書館には食堂が併設されていないか?」です。本を読んだり字を書いたりする作業というのは、結構エネルギーを消費するものです。「腹が減っては戦ができぬ」ですが、勉強もできません。一生懸命勉強するためには、食っては読み、食っては書きを繰り返す必要があり、図書館には食堂が併設されるべきです。しかし、実際にはそうなっていない。おなかがいっぱいだと眠くて本が読めなくなると心配してくれているのでしょうか。
 ここまで書いたところで、腹が減ったのでやめますが、このように、図書館は不思議がいっぱいあるところです。多くの学生諸君が図書館で勉強し、ここに記した謎を解き明かしてくれることを期待しています。