自己肯定感と学び

 自己肯定感は大事です。自宅に帰ると、何かと自己肯定感を打ち砕かれるので、そう思います。また、学生に勉強を促すためには、自己肯定感を与えた方がいいという見方があり、自分も賛同して、「学生の資格取得を奨励し、自己肯定感を高めよう」と唱えてきました。
 しかし、最近、本当にそうだろうかという疑問が芽生えました。そもそも、何かを学びたいという思いは、自分の無知、馬鹿さ加減を思い知り、これではいかん、と考えることから始まるのではないか。自分は幸せだなあ、能力あるなあ、などの気分に浸っているとき、何かを勉強し始めるとは思えません。
 とすれば、学びは、自己否定から始まるわけです。学びが始動しないとすれば、それは、自己肯定も自己否定もない、要するにボーッと生きていることに起因するのではないか。(チコちゃん、叱ってください)
 こんなことをボーッ考えていたら、学生から、「先生、最近、授業でキレることあるそうですね。」と言われました。「いや、あれは演技で、実は、冷静に叱っているのだ。」とごまかしたものの、自己肯定感が打ち砕かれました。自分は、授業方法を学ぶ必要があるようです。