外資系証券会社の思い出

 一九九八年に当時勤務していた日本長期信用銀行が経営破綻し、金融再生法の下に国有化された。国有化後の将来が見通せないので転職したいと思ったものの、すでに四〇歳をだいぶ過ぎており、特段人脈もなかったので、再就職活動は捗々しくいかなかった。
 ようやくたどりついたのは、欧州系銀行の審査部門の総務担当というもの。前任者は二六歳の女性だった。総務担当というのは、部内の予算管理その他の雑用係である。友人で卒業以来外資系の銀行で働いていた男に相談すると、「勧められない、やめとけ」とのこと。しかし、他に職もないので思い切って飛び込んでみた。
 入ってみると、一年の間に金融検査対策で忙殺されるわ、総務担当から審査担当への仕事替えを求められるわ、採用してくれた米国人上司が転職してしまうわ、と結構大変な事が続いた。この上司がいなくなってからは、何となく居心地も悪くなった。
 二年たったところで、その元上司から電話がかかり、自分の転職先である外資系証券会社に移らないかというお誘い。残るも地獄、進むも地獄の予感がした。
 どうにでもなれと、誘いに乗って再転職してみると、心配通り、その米国人上司と古くからいる日本人職員が反目して大混乱の真っただ中だった。これらの日本人職員の多くが整理されてようやく一段落した。ともかくも、こうした経緯で、自分の外資系証券会社における審査の仕事が始まった。
 証券会社の審査の仕事は邦銀のそれとは大分異なる。まず、取引の大半は外国為替スワップ、レポ、株券貸借取引、証券先物取引などのいわゆるデリバティブである。
 貸出と異なり、デリバティブ取引から発生する与信リスクは捉えにくい。貸出であれば、取引先が破綻した場合、単純には貸出金額がリスクにさらされる。一方、デリバティブ取引の場合、破綻した取引先との取引を解消し、別に取引を再構築した際に発生する損失額がリスク量である。その金額は、モデルを使って各デリバティブの価格の推移を想定し、価格の変動率や再構築にかかる期間なども勘案して統計的に算出せざるを得ない。リスク量はしたがって、例えば5%の確率で○○ドルの損失、といったたぐいのものとなり、確定的ではない。これをポテンシャル・イクスポージャーと呼ぶ。いわゆるテールリスクである。
 転職する前、二十年近く邦銀で仕事をしてきたが、調査や貸出営業の仕事が中心で、デリバティブ取引とはほとんど縁がなかった。そのため、まずは、こうしたデリバティブのリスク量の算出原理や方法を学ぶ必要があった。慣れてくると、なかなか面白いもので、単純な取引であれば、モデルを動かさなくても、価格変動率や取引期間を使った目の子計算でおおよそのリスク量がわかるようになる。
 日常、営業部門からは様々なデリバティブ取引について取引承認を求める電話がかかってくるので、リスク量に対する感覚は重要である。取引先ごとに設定されたテールリスクにかかわる与信枠の範囲に入れば取引を承認するし、そうでなければ断らなければならない。
 リスク量の算出で手間のかかるのは、投資家向けの長期為替の取引だった。複雑な商品内容であるが、分解すれば為替オプションの組み合わせである。数学科を卒業した若い同僚が簡易計算のための特別プログラムを作ってくれ、それを使って与信判断をしたが、一連の作業は職人芸のような趣があった。
 審査の仕事のもう一つの柱は、取引先に内部格付けを付与することである。このあたりは、邦銀の審査部と似たような機能である。違うのは、取引先として金融機関やファンドなどのウエイトが大きいことであろう。内部格付けにしたがって、与信枠が決められる。
 内部格付けにあたっては、取引先の財務内容等を分析した書類を作成する。苦労したのは、海外(ロンドンと香港)のオフィスと電話会議で行う格付け委員会である。委員会における合議で内部格付けが決められるのだが、海外支店の委員は、日本の取引先について、思いもよらない質問や意見を投げかけてくる。
 ペイオフ解禁前のこと、日本の金融機関に対する公的支援の枠組みなどを説明しつつ、地銀への内部格付けを提案したが、議論が全くかみ合わない。こちらは、地銀ごとの特徴等を反映して格付けに差をつけて提案する。一方、ロンドンの人間から見ると、地銀ごとの差異は取るに足らないもので、どうせ公的支援があるなら一律の格付けを与えるべきだと強力に主張する。お互い同じ主張の繰り返しで、最後は議長に引き取ってもらったように記憶しているが、難儀なことであった。
 ところで、委員会ではこちらも、なじみがなく、よくわからない欧州やアジアの取引先の資料を読み込んで質問しなければいけない。リーマン・ショックより前のことだが、南欧の銀行が委員会にかけられた。日本の経験を踏まえると、バブル融資が積みあがっているように思われたので、その点を問いただしてみた。しかし、バブルという見方について、ロンドンの同僚の賛同を得ることは全くできなかった。日本でもそうだったが、バブルのさなかにいると、それがバブルだと認識するのは難しいものである。
 リスク量の算出や内部格付けについて、外資系証券会社の特徴と思われたのは、仕事のスピード感である。たとえば、営業部門等から質問があれば、比較的短時間で取引の可否等の回答をしなければならない。ところが、同じ外資系でも、例えば、格付け見通しについて回答するのに一~二週間かけるところもあるらしい。このため、のんびりした会社から転職してくる人にとって、このスピードに慣れるのは一苦労だ。
 結局、あまり発展性もないまま、このような内容の仕事を十年以上続けた。採用してくれた米国人上司は、またもや数年でいなくなってしまった。仕事を通じて人間的にはだんだん角が増え、その角がとぎすまされたような感じがする。
 十年の間で最大の出来事は、無論、リーマン・ショックだ。サラリーマン人生で勤務先が公的支援を受けるような事態に二回巡り合ってしまったわけである。
 リーマン・ショックとは、証券化商品を利用した不動産金融の拡大によって不動産市場が過熱し、バブルが破裂したものである。と長らく考えていたが、根はもっと深いようだ。チャールズ・ファーガソンの『強欲の帝国』によれば、米国大手金融機関の一部の関係者は2000年代初めごろからバブルの崩壊を見通していた。そのため、彼らは単に証券化を急いだだけでなく、バブル崩壊に賭ける取引、例えば、証券化商品のジュニア部分のプロテクションを購入するような行動をとった。彼らがわからなかったのは、バブル崩壊のタイミングだった。なかなかバブルが崩壊せず、掛け金が不足すると、自ら証券化商品のシニア部分のプロテクションを売却して掛け金を捻出するようになった。実際にバブルが崩壊すると、安全なはずのシニア部分まで価値がなくなってしまい、損失が拡大した。バブル崩壊への賭けが、バブル崩壊の程度と影響範囲を激しく拡大したのである。
 グレーター・フール理論というものがある。ぼろい商品であっても、それを購入する人が現れれば、利益を得ることができる。購入した人は、さらにそれを別のひとに購入させることで利益を得ることができる。こうして次々に、より愚かな人にぼろい商品をつかませることで、皆が利益を得られる、というひどい理論である。リーマン・ショックの背景には、まさにグレーター・フール理論に則った、倫理的にいかがかと思われる経済活動が存在した、とも指摘されている。金融取引においては、いわゆる情報の非対称性が、店頭取引をはじめとして多くの場面で見られるということだろう。
 このように考えると、自分が十年以上外資系証券会社で審査の仕事をしてきたことの意義について疑問を持ってしまう。幸か不幸か(多分不幸)出世しなかったので、責任を取るような立場ではなくお気楽であるが、自分の所属した組織が社会的に糾弾されるのはつらいものである。しかも二回目である。
 リーマン・ショックは金融資本主義にとどめを刺したという見方がある。例えば、リーマン・ショック以前、英米が金融業で栄えていた頃、日本も製造業中心の産業構造から転換して金融業等付加価値の高い産業に注力すべきだという議論があった。最近はこうした議論もすっかり影をひそめたようだ。
 しかし、金融資本主義にはなかなかしぶといものがある。昨今強調されるグローバリゼーションも、世界的な市場の一体化、標準化、流動性の拡大などを目指す点で、金融資本主義と同質のものと見ることもできる。グローバリゼーションを推進しつつ、金融部門だけ規制強化して金融資本主義を抑え込むことに矛盾はないのだろうか。
 現在は証券界を離れ、縁あって、教育の世界で暮らしている。かつて身に着けた職人芸をいかすことはできず、自転車操業で、勉強したものをすぐに吐き出す毎日を送っている。職業人生の振出に戻ったようなものだ。余裕ができたら、サラリーマン時代の問題意識を整理し、研究活動に生かせればと思っている。